頭の中の整理の仕方

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ここのところ。

頭でいろんなことを考えていました。

 

自分自身のことに加えて、

夫のこと。子供のこと。親、兄弟のこと。友人のこと。

仕事のこと。生活のこと。

他にもピックアップするときりがないのですが。

 

色んなことが動いて揺れて、調整や変化や進展するタイミングなのでしょう。

 

落ち込んだり、悩みこんでいる訳ではないけれど

まとまりがつかず、苦戦する日々。

 

 

そんな時に教えてもらったこと。

とりあえず「頭の中を全部書き出す」

 

そして自分が対応できる容量を見極めて

全部書いた中から必要なものだけを選ぶ。

考えられる分、動ける分だけ。

そして選んだものから考え、整理していく。

頭の中だけで整理することは誰しも困難なこと。

 

 

このことを教えてもらって気づいたことがあります。

これまではスケジュール帳をフル活用し、ある意味この書き出し作業をしていました。

日々のスケジュールを見える化すること。

日々何を意識し、先に何を追い求めているか。

日々の感謝や、喜び。

それらを毎日目にすることで、状態が整いやすかったんだと思います。

 

それが今年の5月頃から生活スタイルに大きな変化があったことで、気づけばスケジュール帳を使わなくなっていました。

基本的に全ては頭の中の管理がほとんど。

スケジュール帳はメモ書き程度の存在になっていました。

 

基本的に予定管理のみのツールと捉えていたけれど、

今回のことで改めてスケジュール帳にマメに書き込み活用することは

頭の中を、日々の考えを整理する大切なものだったと気づきました。

 

 

また、スケジュール帳を大活用する生活の始まりです。

 

 

 

 

 

 

 

好きだったのに

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今、改めてハマっていることがメイク。

 

マスク生活が定着したことから、だんだんメイクへの意識が薄れていました。

見えている部分。アイメイクだけそこそこすれば「まぁ良し!」って感じ。

メイクしてもどうせ顔半分隠れているしナチュラルでいいか〜と、手抜きになっていたのも確か。

 

だけど、時々マスクなしの自分の顔を見ては、

「あー。。。歳とったなぁ。。。」

と、率直に思ってしまう。

そんな時折、現実を目の当たりにすることがショックでした。

 

メイクも疎か。

スキンケアもそこそこ。

やってはいるけれど、全く心がこもっていない。

そりゃ、老けてもきます。

マスクをしていると表情筋だって使うことも減るから、余計に老け要素は高まるばかり。

 

やだやだやだ。

本当にやだーーー!

 

マスクをしようが、マスクを外そうが、

やっぱり「美」に意識を向けていることはモチベーションが上がる。

私にとって、メイクやおしゃれは日常を満たす、気持ちを上げる重要なポイントなのです。

あーーー忘れてた。

いや、サボってた。

 

久しぶりに気合を入れてメイクしたらとっても嬉しかったんです。

というか、メイクってセラピーでもありセッションでもあり瞑想でもあって。

内側をリセットして整えるようなそんな感覚。

気分を高めることも、

晴れやかで前向きな気持ちを呼び起こすことも、

「これでよし!」と安定を取り戻すこともできる。

気づいた今は、メイクを研究したり工夫することが改めて楽しくて。

何度かメイク講座にも行ったりして、色んな要素を吸収しました。

 

 

美意識を持ち生きること。

それこそ私の生きる道。

 

 

8月8日に感じる今

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「8月8日」

 

私の好きな「8」が並ぶ今日はライオンズゲートが最大に開く日だそうですね。

 

 

ここ数日、とても深く揺さぶられ、考える出来事が重なりました。

本音を伝え、感情を抑えきれずに話し合う時間は、とてもエネルギーを使いました。

伝える。聞く。理解する。

 

冷静に振り返ってみた時にどこか景色の見え方の違いを感じました。

今までより高く広く見渡せるような感覚。

 

 

関わる「人」「物事」「環境」様々な要素と触れて

人は願望を持ち、目標を持ち、感情が生まれ、喜びを見出し、生きているんですね。

 

人は皆んな自由。

自由なのに不自由の枠にはまって生きていることもあって。

難しく考え込んだりして。

案外その不自由な枠に自身ではまっていることに安住していたりもして。

何を安心とするか。どこを居心地よく感じるかは、人それぞれだし、他人に合わせたり委ねたりする必要なんて全然なくてもいいんですね。

 

ただ自分を感じながらも、周りも感じていたい。

それは関わる周りの存在との調和を大切にしたいから。

周りにある温もりや愛情を守りたいから。

 

そして

調和せず、自分にしか分かりようのないところが誰しもあるもの。

 

 

 

今、見る景色の先には

伸びやかで、固定概念がなくなりました。

実際、今は今までの当たり前がガラリと変わっています。

いい意味で何でもありだなと思います。

何でもありだから何を選択したいか。

何を選択するかを判断する感度や感性を高めていたい。

 

自分の感度や感性を高めること、磨くものは何か。

そこにスポットを当てています。

 

 

私にとって

「伝える」「聞く」「理解する」

今回のそれらの経験はとても大きなステップとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

一歩ずつ。一つずつ。

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一歩ずつ。

一つずつ。

 

つい、急ぎ足になりがち。

 

一歩ずつ。

一つずつ。

ゆっくり歩む時こそ

しっかり感じること。

そうでないと感度が衰えてくる。

 

急ぐことばかりに気持ちを捉われず

ゆっくり歩んでいられる時こそ

周りを見ながら

環境と対話しながら

点と線を眺められる。

 

風に乗るにも

波に乗るにも

タイミングがあるはず。

 

引き込まれる様にグオンと乗せられることもあるけれど、自分で決められるならタイミングを合わせよう。

 

そのタイミングを逃さない様に

身軽に

柔軟性を持って

瞬発力を高めておこう。

 

 

 

最近、こんな風に思い過ごしています。

 

焦る気持ちに掻き立てられることってありますよね。

だけど、物事が進まず、進められず暫し停滞する時ってある意味ラッキーな時間へと転換できる。

 

着実に一歩を踏み進めながら参りましょう。

 

 

 

親だからって気張らなくても大丈夫

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私には20歳の息子と6歳の娘がいます。

大切で可愛い子供達。

とても仲良しで、子供達との関係は良好です。

 

よく周りの方から

「どうしたら、あんな子に育つの?」

「どうしたらそんな親子関係築けるの?」

なんて質問をされます。

 

 

私は子育てする中で、よく言葉にして伝えています。

「〇〇はママのたからもの」

「〇〇はママの大切」

幼い娘には毎日何度も何度も言っています。

これも、言うように心がけるって訳ではなく、言わずにはいられない気持ちなんです。

素直に出てくる、本当の気持ちや言葉。

 

ある日、娘が私に聞いてきたことがありました。

「ママはお仕事しているときは私のこと邪魔なの?」

「私が保育園に行ってると嬉しい?楽ちん?」

 

その時、私はこう答えました。

「ママは〇〇と一緒に居る時間はとても大好きだし、とても楽しいよ。でもね、お仕事もとても大好きで、とても楽しいの。〇〇もママと一緒に居る時間と同じように、保育園でお友達や先生と過ごす時間も楽しいでしょ。離れてる時間もママと〇〇の胸の真ん中のハートは繋がってるんだよ。だからもし、離れてる時間に会いたくなったり、寂しくなっても心と心はいつもずっと繋がってるんだよ。」

 

そう話すと娘は顔がほころぶと同時に、

「えっ!? 繋がってるの!?」

と言いました。

 

「ママもね、お仕事している時、車の運転中、お買い物中。色んな時に〇〇を思い出して会いたいな〜どうしてるかな〜って思い出すことあるけれど、心が繋がってるから大丈夫なんだよ。」

そう伝えると、娘なりに納得がいったようです。

 

それからは「心と心は繋がってる〜♬」が合言葉のようになっています。

 

 

 

 

息子にも表現や言葉は違えど、幼い頃はよく同じような言葉を掛けましたし、向き合い方をしてきました。

 

そう、息子が4、5歳の頃。

通っていたスイミングスクールで冬休みにスキー合宿をするイベント告知がありました。

実家にはお泊まりしたことはあっても、1人で他人とお泊まりなんて初めてのこと。

何気に息子に「参加してみたら?」と勧めると深く考えもせず「うん!」と快諾。

可愛がってくれるコーチが数人いるものの、お友達もいない完全1人参加。

申し込みをしておいて、誰が辛いって私が辛くて心細くて堪りませんでした。

現地3泊前後車中泊の3泊5日だったはず。

息子のために旅行カバンに楽しい写真と、毎日一通ずつ読める応援メッセージの手紙を忍ばせました。

そして旅行中はママの身代わりにと小さなくまのぬいぐるみも共に。

 

帰ってきた時のことは今も鮮明に覚えています。

少し疲れた様子はありましたが、照れ臭い笑顔とちょっと逞しさを備えていました。

眠るときはママに会いたい気持ちが湧いてきてちょと泣いちゃったことも。その時にコーチが慰めてくれたことも。くまのぬいぐるみをずっと握りしめてたことも。

後からそんなことを話してくれる息子がまた一層可愛くて誇らしくて堪りませんでした。

 

そして、私がどんな気持ちで過ごしたか。

寂しかったこと。心配で夜は眠れなかったこと。でもきっと頑張ってると信じたこと。

帰ってきてくれて、1人で参加することにチャレンジし成功できたことがどれだけ嬉しいかなどを素直に話し伝えました。

 

息子とのこれまでを振り返っても、卒業式ではいつも大泣きしてしまったし、楽しむことは共に笑い、はしゃいできました。

大笑いし、大泣きし、

喜怒哀楽を大人だから、親だからと子供に隠すことをしませんでした。

 

息子とは20歳になった今も、タイミングが合えばよく話しもしますし、一緒にお料理したり、映画を観たりします。

 

 

きっと私にとって子育てって。

「親として子に伝える」ではあるけれども、

それよりも「人と人」であるんだと思います。

 

私の知っていることや、伝えたいこと、大切なことを子へ伝え繋ぐ。

そして子からもたくさん伝えてもらってるんです。

 

だから親子であり、友達のような、

やっぱり「人と人」として、大切で大好きなたからもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色んな個性が溢れる世界へ

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今朝も蝉の大合唱が鳴り響き、パワフルな青空が広がっています。

 

ここのところ、何となく思いはじめたことがあります。

それは世の中、

色々な事があって、色々な見直しがなされ、色々な活動や意識が広がっています。

 

とても素敵で素晴らしい取り組みのあれこれに、なるほどと自身にも置き換えて採用していることも沢山あります。

 

「古き良きこと」に戻っている。

そしてそれとは逆に、新たな発展もどんどん進んでいて。

 

どこに重きをおいて何を選択するかにより、

人それぞれの生き方が顕著に現れてきたなと感じます。

 

 

私も例えば「モノ」を手にするにしても、

その「モノ」は使い込む事ができるのか。

いざ廃棄するときにはどのような方法になるのか。

デザイン性や機能ももちろん考慮するものの、「モノ」の在り方を重視する意識が高まりました。

 

 

食も身体に優しいモノは。

本当に身体に必要なモノは。

食材選びもこだわりが増えましたし、お料理も素材を生かすシンプルなものや和食傾向になりました。

 

 

衣服や生活雑貨などもオーガニックコットンやリネンなど、自然な風合いのものをよく見かけるようになりました。

 

 

私もオーガニックやナチュラル思考は心地よさも感じます。

だけど、それと同時にどこかその「ブーム」に巻かれている気がしてきました。

 

オーガニックを選ぶことが素敵。

自然な素材を選んでいる事が素晴らしい。

 

 

私はインテリアも好きですしよく情報収集しますが、お家も同じような傾向があります。

グレーが基調な空間にアンティークな家具やアイアン素材、DIY家具を取り入れるなど。

 

 

 

世の中には情報が溢れています。

古き良きことも

新たな発展も

自身で生み出すことも

全ては個人の意思と選択。

 

それぞれの個性や表現がもっと光り、発揮されていく風景が見てみたいなぁと思います。

 

「印象」「イメージ」は自分次第

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「印象」

とは人や物事に対して心に感じたこと。心に与える直接的な感じという意味合いを持ちます。

見たり聞いたりした時、対象がどのように心に感じを与えるか。と、いうところ。

 

「イメージ」

とは心の中に思い浮かべる、思い描く姿、像。ある物事についていだく全体的な感じ。

 

 

「印象」や「イメージ」の意味を改めて見直してみました。

というのも、私がとても好きなところなのです。

 

自身を表現するアイテムは

顔。

スタイル。

身長。

ヘアスタイル。

ファッション。

メイク。

声、話し方。

所作。

など色々ありますよね。

 

世の中「好印象や素敵なイメージを与えたい」と願う人が大半だと思います。

ただ、そこに固執しすぎる傾向の方が多いような気がしています。

 

「本当は〇〇したい。けれど。。。」

仕事の現場でよくこの言葉を聞くんです。

 

私は美容サロンの経営をしています。

お客様のご希望をお伺いしていると、

「本当は金髪にしてみたいけれど。。。」

「本当はショートカットに憧れているのだけれど。。。」

「本当は明るい色の服が着たいのだけれど。。。」

 

「きっととってもお似合いになられますよ!ぜひされてみてください!」

そんなお声をよく掛けさせていただきます。

 

 

日本の文化は特に「もうこの年だから」と、今の時点をもう遅いと受け取る風習が強いのではないでしょうか。

また、身近な誰かの意見をとても尊重しているようにも感じます。

パートナー、親、子供、友達、職場の同僚など。

自身をよく知った誰かの意見は、とても重みがあるのでしょう。

そしてそういう方こそ褒めて欲しいお相手なのでしょうね。

 

ですが、身近な誰か以上に身近なご自身のそのご希望を、少しずつでも叶えてみてはいかがでしょうか?

 

勇気を出してその1ステージを越えられた方の嬉しそうな、満足そうな歓びは言葉では表現しようのない素敵なものです。

そしてそうした時に「印象」や「イメージ」ががらっと変わるんです。

 

同じままがいい時もあれば、一新したい時もありますよね。

 

私は47歳。

20歳の息子と6歳の娘がいます。

息子にとっては若々しくて素敵なママ。

娘にとってはよそのママよりお姉さんだけれど、自慢のママでありたいもの。

何より私がママ業を楽しませてもらっているし、いつまでも可愛いや綺麗や素敵を楽しみ続けたいと思っています。

 

「印象」も「イメージ」も結局は自分次第。

大満足で朗らかな心持ちから発動される、笑顔やオーラに勝るものなしです。